皆さんは、沖縄県がかつて琉球王国と呼ばれていたことをご存知でしょうか?
約450年続いた歴史の中で、様々な国の影響を受けながら独自の文化を築いていきました。
今回は、沖縄県南城市に伝わる神話や洞窟で発見された旧石器時代の遺物、三山時代という戦乱の世を治めた琉球国王から琉球王国誕生までの歴史をご紹介致します。
歴史の街・南城市を散策しながら、新たな沖縄観光を楽しみましょう!
1.サキタリ洞遺跡で大発見!旧石器文化に迫る大きな手掛かり
南城市玉城(たまぐすく)にあるガンガラーの谷は、長い年月をかけて出来た鍾乳石や亜熱帯の自然が楽しめる体験ツアーが人気の観光スポットです。
その入り口にサキタリ洞遺跡はあり、ケイブカフェというカフェスペースの一部に存在します。調査時には、一般の方も間近で見学できる珍しい発掘現場でもあります。
サキタリ洞遺跡にはⅠ~Ⅲの調査区があり、旧石器時代から縄文時代以降の遺物が多数発見されています。
調査区Ⅰの約1万3,000年前~1万6,000年前の地層からは、旧石器時代の人骨と石器が同時に発見され、沖縄の旧石器文化の解明と沖縄における人類史の空白を埋める大きな進展をもたらしました。
さらに、約2万年~2万3,000年前の地層からはモクズガニの爪、カワニナの殻、ウナギの骨が見つかり、火を受けて変色したものも見られることからサキタリ洞人の食生活の一部が明らかになりました。
ブダイやアイゴといった魚の骨も見つかり、鳥獣類よりも川や海にいる水産資源を積極的に食していたことがわかりました。
同じ地層からは他にも、ギンタカハマという巻貝で作られた14ミリの世界最古の釣り針や、マツヤマワスレという二枚貝を使った扇形の貝器、ツノガイのビーズといった様々な貝製品が見つかっています。
現在も発掘調査は継続中で、新たな発見が続々と見つかっています。今後の動向にも大きな期待が寄せられます。
※現在、サキタリ洞遺跡(ケイブカフェ)への入場はガンガラーの谷ガイドツアーに参加された方のみご利用いただけます。事前にオンラインもしくはお電話にてご予約ください。
2.琉球の始祖と伝わるアマミキヨ
▼アマミキヨが最初に降り立ったとされるカベール岬(久高島)
琉球の創世神話には諸説ありますが、最も有名な伝説にアマミキヨという神が登場します。
はるか遠い昔、ニライカナイよりアマミキヨは降り立ち、国づくりをはじめました。
天帝に求めて男女をつかわし、二人の間から三男二女が誕生しました。それぞれが領主や祝女、人民の原点になったとされます。
アマミキヨは、ある浜に流れ着いた五穀の壺から穀物をまき、やがて琉球に穀物が広まっていったと伝えられます。
▼ヤハラヅカサ
ニライカナイより久高島に降り立ち、本島への第一歩を記したとされる地。ヤハラヅカサは、ニライカナイへの遥拝所の聖地でもあります。
満潮時はほとんどが海中に隠れていますが、干潮になると姿を現し近くまで歩いていくことができます。
▼浜川御嶽
浜川御嶽は、百名ビーチの北端、崖の上にある御嶽(うたき)です。
アマミキヨがヤハラヅカサに降り立った後、浜川の清水で身を清め、仮住まいをしたとされる地です。
アマミキヨがニライカナイより渡来し、住みついたと伝えられる霊地は数多く存在しており、主な14か所を巡拝する行事は「東御廻り(あがりうまーい)」と呼ばれています。
国王の巡礼が起源だとされており、国家安泰や五穀豊穣を祈願する行事としてはじまったといわれ、現在でも一族の健康を祈願して巡拝されています。
3.三山統一を果たした尚巴志ゆかりの地
14世紀初頭、琉球は南山・中山・北山の3つの勢力に分断され、戦乱の世を迎えていました。
三山統一を目指した尚巴志(しょうはし)は、父である尚思紹(しょうししょう)とともに、1406年 中山王の武寧(ぶねい)を攻め落とし、尚思紹を中山王に即位させました。
その後、約10年力を蓄え、1416年に北王山の攀安知(はんあんち)を倒し、尚巴志の次男・尚忠を北山監守として北部に置きました。
尚思紹の薨去後、尚巴志は中山王に即位し、1429年 南山王の他魯毎(たるみ)を滅ぼして、琉球王国最初の統一王朝を成立させました。
琉球王国が誕生後は、中国や日本、朝鮮などと中継貿易を行ない、尚巴志は王朝栄華の礎を作った人物とされています。
▼佐敷上城跡
佐敷上城跡は、尚巴志とその父である尚思紹が拠点をおいたとされる居城跡といわれています。
▼佐敷上城跡(月代の宮 本殿)
月代の宮の鳥居をくぐって階段を上がっていくと拝殿、その奥には月代の宮の本殿があります。
本殿には、佐銘川大主を大祖に第一尚氏王統の八神が祀られています。
敷地内には、佐敷ノロ殿内、内原の殿(上グスクの殿)、カマド跡などがあります。
▼島添大里城跡
14世紀頃、島尻地域の東半分を支配していた島添大里按司によって築かれた居城跡です。
尚巴志と父・尚思紹によって攻め落とされ、その後この地に拠点を移した尚巴志による三山統一の足掛かりとなりました。
▼佐敷ようどれ
尚思紹とその家族が葬られていると伝わる佐敷ようどれ。全体が石造りで屋根は半円型をした独特な形をしています。
当初は佐敷城近くの崖下にありましたが、風雨による損壊で1764年に現在の知念分屯基地のある敷地内に移築されました。
南城市内には、こういった尚巴志ゆかりの地が多く残されています。
各地を巡るコースやガイドツアーなどもあるので、初めて訪れる方でも楽しく歴史に触れることができます。
いかがでしたでしょうか?
私達の祖先に繋がるかもしれないサキタリ洞人、琉球のはじまりを創ったとされるアマミキヨ、約100年続いた三山時代を統一し琉球を治めた尚巴志。それぞれの時代は違いますが、現代にも信仰や文化が受け継がれています。
南城市を散策していると、様々な歴史に触れることができます。
いつもと少し違った沖縄観光をぜひ、体験してみてください。
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